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工業彫刻を知ろう
ちょっと聞き慣れない「工業彫刻」 いわゆる「彫刻」とはまったく違うものです。ここでは「工業彫刻」とは何かというお話から工業彫刻で使う彫刻機、さらにはその使い手である職人さんも紹介します!


工業彫刻とは? 彫刻機の種類 
彫刻機の歴史 職人の素顔

彫刻機の歴史
○ 彫刻機の発達は、実は印刷技術の発達に伴っています。
 
 彫刻機が初めて作られたのは1825年イギリスのウイリアム・バッハによるもので、それは印刷活字用でした。その後も印刷活字製作用に発達し、イギリス・ドイツ・アメリカで作られ、改良されていきました。また貨幣の製造にも活用されていたようです。

 我が国に紹介されたのは大正時代に入ってからで、大正初期のドイツ印材メーカーのカタログに載ったのが最初でした。実際に輸入されたのは大正9年。都内の印版会社の社員が技術修得のためにアメリカに渡り、技術修得とともに米ゴルドン社の彫刻機を購入して帰国しました。この印版会社は同じ年に英テーラー社の彫刻機も輸入しています。

 国産が開始されたのは大正10年です。光学用と目盛用のものが作られました。しかし大正11年には現在の汎用平面彫刻機の原形となった独デッケル社の彫刻機が大量輸入されました。というのも、たしかにこのころには国産機も多く作られ、改良されていましたが、当時はまだ精密なものは輸入機に頼らざるをえなかったのです。

 昭和の初め頃からは軍需が増大し、昭和12年には日中事変の勃発によって日本経済は封鎖され、ヨーロッパの状況も緊迫してきたことでドイツからの輸入も少なくなり、国内需要は国産機に全面的に頼らざるをえなくなりました。国産メーカーのほとんどが独デッケル社の汎用彫刻機をコピーしていたそうです。当時の需要の中心は計器の目盛、光学機器の目盛などで、終戦まで彫刻業界は目の回るような忙しさでした。ローラーアタッチメントもこの頃、国産されました。

 昭和20年の終戦により日本の産業はほとんどが潰滅状態となり、彫刻業界もまったく仕事がない状態で彫刻技術者たちは職業替えをして生活の糧を得ているような状況でした。しかし昭和24年の朝鮮戦争特需から、ほかの産業と同様に彫刻業界も活気を取り戻し、昭和27年頃には立体彫刻機や多軸彫刻機も初めて国産化されるなど、彫刻業界は完全に復興しました。主に時計やカメラ、ラジオが大量生産されるようになったことで、それに関わる製品彫刻の需要が爆発的に増大したのです。

 そして昭和30年代中頃からプラスチック産業が大きく成長すると、多種多様なプラスチックが開発されて安価になり、それまで切削加工が中心だった加工業界も塑性加工、成形加工が増え、金型の需要が増大しました。また彫刻業も金型彫刻が増えました。成形加工は大きく発展し、身近なもののほとんどが成形加工によって作られるようになりました。範囲が広がれば当然精密なものも成形加工されるようになり、年々高い精度が要求されるようになりました。彫刻機も年々改良され、昭和47年には数値制御(NC)彫刻機や自動立体彫刻機も開発されたのです。

 機械や技術の進歩が工業彫刻の成長を加速度的に促進し、これに伴い彫刻機の用途も多様化しました。大量生産を目的とするもの、高度な精密さが必要なもの...。また今までは多年の経験や熟練がなければ得られなかった高度な加工が機械の高性能化で合理的に加工できるようになったり、また加工不可能とされていたものさえ加工可能となりつつあります。

参考 : 工業彫刻技術指導書(東京工業彫刻協同組合編)
協力 : アイエム機工株式会社



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